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CONVERSATION PIECES;Chapter4 A Critical Framework For Dialogical Practice p136-p143
発表者&レジュメ:佐野亘

ケスター第4章

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ゆがんだ主体は、改革者の導きと監督のもとに、自分自身の救いの主役(author)となる。そして、ゆがんだ主体は、改革者がみずからの超越的な権威にアイデンティファイするための手段(vehicle)となる。神への距離は、改善し、助け、「収穫」することのできた魂の数に比例して、近くなる。改革者たちは、他の人々の魂をappropriateし、救う、というかたちで、自分たちの意思を外に示すことを通じてのみ、自分のアイデンティティの完全さを経験することができた。(ジョン・ハイドは・・)わたしたちは、このような超越の世俗的な表現を、典型的なPMCの信念にみることができる。その信念というのは、資本と労働のあいだにたち、より公平な社会秩序をつくる普遍的な技術的言語を用いる、中立的な専門的立場の一員としての自分たちの中立性と客観性に対する信念である。

・1990年代の文化戦争のあいだ、アメリカの政治的保守派は、相互に関係する経済状況をある危険な人々の行動にするような、解釈のためのフレームワークをつくりだすべく、改革についての、この福音主義的モデルを自分たちのものにし、修正した。1990年代初期における、このプロセスのふたつの主要なターゲットは、福祉にたよる、移民労働者と結婚してないアフリカ系アメリカ人の母親(さらに最近は有色の若者たち)であった。いずれの場合も、のけものの主体は、moral economyにそむき、市場で手に入れられるべき「エンタイトルメント」を要求する、ということで非難された。このような動きのもとにおいて、社会政策の機能は、失敗した個人を改革することであった。そんなに前のことではないのだが、わたしは次のような光景をおぼえている。デパートにいったとき、わたしは、若い男性が、私的な慈善組織に寄付するように頼んでいるのをみた。彼は、何度も注意深く何度も練習したであろう、彼の堕落(ドラッグと犯罪への)と、彼がいま寄付をお願いしている組織のもとでリハビリを受けている、という物語をみなに説明するように訓練されていた。この彼のrecitationは、同時に、彼の過去はもうすでに過ぎ去ったことであり、中流階級の、白人としてのわたしに、彼の失敗の背景にある社会的・文化的・経済的文脈についての責任はない、ということを確認してくれるものであった。かくして、わたしの彼との関係は、彼の道徳的再生の監督に寄付をすることによって、わたし自身の寛大な人間性を、あらためて確認する機会をわたしに与えるように、つくられていた。ここにはまさに、悔い改めた主体が、みずからの罪について許しを請い、ビクトリア的な道徳によって提供されるセラピー的解決を受け入れる、というスペクタクルがある。この個人の変容のレトリックは、貧困に関するより体系的な分析と政策を避ける方法として、保守派によって、うまく利用された。

・福祉と社会政策の歴史はコミュニティアートの議論のなかではめったに言及されることはないが、わたしは、コミュニティアートの作品を完全に理解するには、そういった歴史を意識しておくことが必要であると論じたい。明らかに、福祉の制度は、コミュニティアートを支援する制度よりも、ずっと大きいものである。しかし、1990年代における、財団の、コミュニティの問題へのますます高まる関心は、アートと社会政策のあいだの境界線をゆらがせるものであった。その結果、コミュニティアーティストの機能は、いくつの点で、改革者やソーシャル・ワーカーと比べられるものになった。いずれも、あるニーズを有していると考えられる人々の条件に変化をもたらすという目標をもとに、ひととおりの技術(内容はいろいろだが)をもち、公的・私的資金にアクセスする。特にビクトリア的なモデルのもとでは、ソーシャル・ワーカーたちは単にお金を貧しい人々に配るのではなく、彼らの道徳的再生に携わっていた、ということを思い出してほしい(実際、フルハウスのプログラムでは、アート教育は重要な一部であった)。さらに、アーティストもソーシャル・ワーカーも、自分たちがそのプロセスで用いる言説の普遍性についての信念を共有している。コミュニティアーティストにとっては美学が、改革者にとっての科学、福音主義者にとっての宗教と同じ役割を有していた。これらはいずれも、彼らが、みずからの社会的・文化的立場の特殊性を超越することを可能にし、あるコミュニティに介入することを認めるものであった。

・コミュニティアートのプロジェクトは、しばしば、強い立場にあるアーティストと、あらかじめ、創造的・表現的技術を必要としているとされている人々とのあいだの、やりとりを中心としている。それゆえ、コミュニティベースのパブリック・アートにおけるコミュニティはしばしば、つねにではないけれど、文化的・経済的・社会的に異なっているとされた人々に対するものとされている。スティーブン・ウィラッツは、・・・など。みんなそう。

・ビクトリア的な改革の言説は、コミュニティアートの分析をするうえで、三つの示唆を与えている。それは、第一に、貧困とはく奪の原因は主として個人にあるのであって、システムにあるのではない、ということを前提としている。

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この動きのなかでは、変容を必要とするただの材料の一種として理解される。1990年代なかばのNYを拠点にしたAHCの声明によると、「アートを作成することは、シェルターに住む人々が不安定な状態からアートのプロセスに積極的に参加するように刺激する」。コラボレイティブなアートの作成は、「シェルターに住む人々に内発的動機づけの積極的経験、また、アイデンティティと人間的交流への信頼を提供する」。ある批評家はこのつながりを次のような比較によって、明らかにしている。すなわち、誤用や無視によってだめになった土地の再生と、社会によって捨てられた人々の再生との比較である。このレトリックの効果は、貧困の体系的原因の分析を覆い隠し、かわりに、アーティストによって主宰される創造的な性格の変容の閉じた回路を重視することである。アーティストの側が、それに対して挑戦する戦略を工夫しない限り、このように個人の変容を重視することは、次のことを意味する。第一に、個人が道徳的・感情的に欠陥があること、第二に、この欠陥はそのひとの現在の無力な状態と因果関係があること、第三に、アーティストは、この欠陥を是正し、そのひとに、「まともな生活に必要なソーシャル・キャピタル」(ウィル)を提供する立場にある、ということである。

・ビクトリア的な改革のふたつめの意味は、公的援助と私的援助との関係である。このモデルにおいては、与えるという行為は根本的に私的な行為(慈善)であって、義務や罪の感覚にもとづくものではなく、個々の市民の、仲間に対する、自発的かつ自然な道徳的共感の流露にもとづくものとされる。保守的な観点からすると、社会プログラムが、国家によるプロジェクトとしてではなく、私的な財団や個人によって支えられることが重要である。というのも、国家が援助をおこなうということは、貧困が単に個人的問題ではなく、社会が共同して義務を負うべき、経済の構造的効果である、ということを政治的に認めることになってしまうからである。そういう意味において、公的機関からお金をもらうのか、あるいは、私的な財団からお金をもらうのか、というのは、重要な意味をもつ。

・特にわたしが述べた制度的・イデオロギー的変化の文脈のもとでは、コミュニティアーティストは一種の社会サービスの提供者として位置づけられている、とわたしは主張したい。

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いくつかのケースでは、主要な関心はもはやアートではなく社会プログラムにあるような組織や基金によって、アーティストのプロジェクトに対して支援が与えられている。これは重要なことである。なぜなら、保守派はたくみに、既存の国家が提供する社会プログラムは失敗したのであり、新しいアプローチが必要であると論じてきたからである。アーティストたちが、保守派ののっとりに利用可能なような一連の貧困やはく奪についての考えに同意する(subscribe)ほど、彼らは既存の社会政策の分解に貢献しているのであり、そにかわって、フィランソロピーや道徳教育のprivatized notionを持ち込むことに貢献している。明らかに、コミュニティアーティストたちは、彼らが受け取る資金に対して、ごくわずかの影響力を発揮できるにすぎない。だが、資金提供の政治(学)について知っておくことはきわめて重要である。ケリーさんは、資金提供のあり方がアーティストとコミュニティの関係に影響を与えていることを指摘している。特にイギリスの事例について書いているのだが、ケリーさんの指摘はアメリカにもあてはまる。

 わたしたちが作品をつくっているコミュニティは、ほんとうは、わたしたちの顧客なわけではない。というのも、彼らの支持や熱意が増えたからといって必ずしも補助金が増えるわけではないからである。それは、彼らの関心が減ったからといって補助金が必ずしも減らされないのとちょうど同じである。制度的にいえば、コミュニティはわたしたちにとっての「クライアント」であって、このことが意味するのはつまり以下のようなことである。彼らは、わたしたちがわたしたちのほんとうの顧客(わたしたちがレポートやら書類を提出する対象)のために、わたしたちが作品をつくるうえでの、ただの素材にすぎない、ということである。

・ビクトリア的改革の三つ目の意味は、コミュニティアーティストと、かれらがともにはたらく人々のあいだの構造的関係である。ビクトリア的モデルにおいては、貧しい人になにかを与えるという行為は、人間としての共感や善意の貯蔵庫から引き出される、と理解されるということである。与える人と与えられる人のあいだの社会的・文化的溝が大きくなればなるほど、彼らは彼ら自身の社会的立場の特殊性を乗り越えた、と強く感じる。与える側は、自分の階級的立場に関わるすべての特権を享受しながら、同時に、自分たちの特権を可能にしている搾取の対象のために声をあげている、という道徳的権威を主張することができる。このシステムのもとでは、他人は(ビクトリア的改革者にとっては奴隷や堕落した女性や貧困者や異教徒たち)、改革者自身の精神的進化のための道具(vehicle)になっている。このようなわけで、スタシノプロスは、国家による福祉は、貧しい人に対する無償の贈与によって富裕層が道徳的卓越を経験する機会を奪うと論じたわけである。

・すでに示唆したように、対話的実践はアーティストによる製作についての、一般的でないモデルにもとづいている。個人というよりも共同であり、独白というよりも対話である。コミュニティベースのプロジェクトではたらいているアーティストたちは、ときに、より伝統的なアーティストのアイデンティティをもちながら、ということもある。

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わたしが考えているのは、とくに、ロマン主義にねざす、説得的な文化的神話についてである。それは、貧しい人や辺境においやられた人にアイデンティファイし、また、彼らのために語ることができる、シャーマン的な人物として、アーティストを捉えるものである。この神話においては、アーティストは他の人々が受けている社会的抑圧のためのチャンネルになる。新たな場所、問題、コミュニティは、アートの言語を通じた、アーティストの社会的超越をあらためて確認するためのさらなる機会となる。その言語は、文化的差異を橋渡しし、社会的分裂をいやす。コミュニティアーティストの場合、そうでなければその介入は疑いの目で見られたであろうような社会的領域において、道徳的・教育的権威を主張できるのは、美学というものの(推定上の)普遍性による。ただ、わたしは、コミュニティアーティストはCharles Murrayとのあいだに汚れたイデオロギー的同盟を結んでいる、というようなことを言いたいわけではない。しかし、わたしが以上に述べた改革の歴史は、いくつかの重要な問いを提起している、ということなのである。いかにして、アーティストたちは(その教育は典型的には技術やセンスやアートの歴史や理論を中心としている)、見慣れない場所や文脈でのプロジェクトによって提起される、複雑な倫理的問いに対応すればよいのか?コミュニティベースのプロジェクトは、次の例が示唆するように、めったにアートの学校では教えられないような人種や階級の政治(学)を理解することを求める。

Urban Warrior Myths --- a case study

Soul Shadows: Urban Warrior Myths は、ニューオーリンズを拠点にしたDawn Dedeauxというアーティストによって、1993年に作成された。それは、巨大なインスタレーションで、たくさんのモニターや監視カメラや壁のサイズの写真、テープにとった音楽、ビデオ、こうしたものが、特別にデザインされた建築スペースにいれられていて、そこにはさらに、65フィートのながさの回廊の両側に、10のビデオを見るための部屋がついていた(the Hall of Judgment)。このインスタレーションは、彼女がニューオーリンズでの刑務所内でのアートのプロジェクトに参加したことから出てきたものである。彼女はこのプロジェクトで囚人たちと作業し、ときに、それは14歳の若さの犯罪者だったりしたのだが、そこで彼女は、ビデオ作成や、マスクをつくったり、アーティストの本をつくったりした。その経験に刺激されて、Dedeauxは、マルチメディアのインスタレーションのアイデアをうみだした。それは、白人の観客にとっては、若い犯罪者が直面する状況を重視するのを助けるだろうし、若い黒人の男性には、道徳的予防薬として機能するだろう。彼らは、彼女がインタビューした収容者やギャングのメンバーによって表現された悔恨をみて、願わくば、自分の生き方を改めるかもしれない。

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同時に、デドゥさんは、白人なのだが、自分のプロジェクトについて、フレンチクォーターで2回襲われた経験がある、という彼女のトラウマと向かい合う方法でもあったと述べている。そのときの経験による若い黒人男性への恐怖は、彼女自身に、以前には自分でも気が付いていなかった人種差別主義を問いかけるものであった。Soul Shadowsは、ニューオーリンズ、ボルチモア、ロチェスター、しばらくのちにロスでも、展覧された。15万ドル近い費用がかかったが、この作品の巡回は、いくつかの公的・私的基金などから支援を受け、進歩主義的な活動的なアートのモデルとしてひろく称賛された。ロチェスターでは、・・・。このようなアート組織と社会サービスの複合的スポンサーは、わたしが前に論じたような支援のトレンドを象徴している。

・インスタレーションに踏み込むと、観客は、半分空いたドアがずらっと並んでいるのを見る。さらによくみると、そのドアは、金属の安全扉の大きな写真がボードにかかっているのだということがわかる。それぞれのドアのうしろには、小さな暗い部屋があり、モニターの前にイスあるいはカウチがある。モニターは、デドゥが監獄で作業をしていたときに撮ったビデオの断片を流している。たとえば、犯罪をおかした若者のダンスパフォーマンスの場面、ニューオーリンズの政治集会の場面など。しかし、その多くは、収容されているひととギャングのメンバーへのインタビューである。ビデオの領域を通り過ぎると、観客は、車からの発砲の若い犠牲者に焦点をあてた巨大なスクリーンビデオのプロジェクションいっぱいの閉じられた場所にはいることになる。メインのインスタレーションにもどると、観客は、「ジャッジメント・ホール」の中心にきて、その両側には、デドゥのヴィデオからとった写真を大きくした、シルエットの人物のイメージがある。壁のしたのほうには赤いライトがあり、火事を思い起こさせる。ホールのはしには、大きなだえんの部屋がある。「街の戦士の墓」である。そこには、さまざまなポーズやコスチュームをまとった若いアフリカ系アメリカ人の、誇張された写真が10枚くらいある。同じようなビデオの領域がジャッジメント・ホールの逆側にもある。

・「アートスペース」という雑誌の記事は、この作品を、「危険をおかしたプロジェクト」であり、「社会的問題についての新しい考え方を示した」と述べている。またロチェスターでのインスタレーションの際に配られたフライヤーによると、「デドゥは、単純に「ノーといえ」という過去の解決によってput offされていた(???)、若者に届くことばを発するため、危険をおかした。」批評家のジョー・ルイスは、デドゥをほめた。彼が「文化的混交」と呼ぶものにおける、社会的・文化的アイデンティティの従来の境界への挑戦として。ルイスが書くように、多くの政治的に動機づけられたアートが抱える問題は、failure of nerveである。エスタブリッシュされた体制に好まれない作品をつくるアーティストは、必ずしも危険をおかさない。というのも、彼らはその結果を予測できるからである。じつをいえば、危険をおかす、というのは、結果的になにが起きるかわからない、ということである。彼女が、人種と犯罪という複雑な問題に立ち向かおうと決めたとき、彼女自身の人種的特権に問いを投げかけようとした意思は称賛されるべきである。白人の観客と若い黒人男性のあいだに共感的なアイデンティフィケーションを促すことへの関心と、彼女の作品のコラボレイティブな性質は、本書の主題である対話的実践と近い。同時に、このプロジェクトは、アートとアクティビズムと社会政策のあいだにあるliminal zoneで仕事をするときにアーティストが直面するチャレンジを示している。わたしは、彼女の作品において、彼女と、収容された人々とギャングのメンバーのあいだに構築された関係に興味がある。収容された人々とギャングのメンバーは、このプロジェクトのsubject matterであり、少なくとも、constituenciesのひとつであった。このプロジェクトにおいて伝えられる、犯罪、人種、貧困についての知覚は、いくつかのレベルで、わたしがすでに説明した改革のモデルに対応するものである。彼女は、診断とセラピーの特殊な技術をもった専門家として、若い収容された人々にアクセスすることができた。彼女は、アーティスト/ソーシャル・ワーカーとして機能した。彼らに近づき、また手本となることで(?)、閉じ込められた人々を、美学の癒しの力に触れさせる典型的な主体として。この制度的な性格は、彼女のイデオロギー的な性格に関係していた。彼女の囚人たちとの作品は、はじめから、閉じ込められた人々の感情的・精神的欠陥(と知覚されたもの)にもとづいていた。また、この状況を改善する、アーティストとしての彼女の能力にもとづいていた。彼女の意図は、「収容された人々に創造のプロセスの楽しさを紹介することであったし、創造のエネルギーを感じてほしかったし、それは魂に触れるもので、ドラッグや犯罪のかわりになる。なぜなら、それくらいのエネルギーのレベルがあるから。」

・彼女の美的超越の力を確実なものにする究極のものは、彼女と、ウェインとポール・ハーディとの関係にある。このふたりは、ニューオーリンズの、悪名高いドラッグの売人であり、ギャング・メンバーであった。彼らは、彼女が刑務所でいっしょに作業した若者たちから、畏敬の念をもってみられていた。彼女はまず、法廷で、殺人の裁判のとき、ウェイン・ハーディとあい、ラポールを築いた。彼女は結局、彼と彼の兄弟への長いインタビューをおこなったうえ、彼に、アートとモダン・ポップ・カルチャーのアイコンの歴史を示すコスチュームを着てポーズをとることを納得させることができた。

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これらの壁のサイズの印刷は、「街の戦士の墓」にあり、インスタレーションの中心的モティーフのひとつを提供している。そこでは、ハーディは、さまざまな格好をしている。ランボーとか、シヴァとか。インタビューで、彼女は、はじめてハーディとの関係を打ち明けたときの、非常に緊張した瞬間のことを、次のように言っている。

  わたしはテープを刑務所にもっていった。みんなはなにかと聞いた。ハーディのインタビューだといったら、みんな笑った。実際にみせたら、みんなひきつけられて、シーンとなって・・・。それは政治家がドラッグについてあれこれ言うようなものではなく、実際に自分たちが尊敬している人物が、「たぶん考え直したほうがいい」といっているのであり、ソーシャル・ワーカーが「いい子になりなさい」というようなものよりはるかによい。

このカタルシス的な瞬間は、彼女の大きな印象を与えた。彼女は、ハーディと、その「ほんものの生活」の権威にアクセスすることができたために、また、彼を概念的・創造的に彼女のアートのsubject matterとして所有することができたために、彼女は、若いコラボレイターたちからの尊敬と正統性を得ることができた。彼女のプロジェクトのもともとの動機は、彼女が若い黒人を恐れるようになってしまい、その結果、かれらをobjectifyするようになってしまった、というつらい認識であった。ハーディ兄弟と関係を築くなかで、彼女は、その対象化を是正できた。ハーディおよび、いっしょに作品をつくった若い囚人は、彼女に、一種のセラピー的資源を与えた。それは、彼女が、おそわれたことによるディスエンパワーメントと自己への懐疑をのりこえて、倫理的安定をあらためてつくりあげるのを可能にした。彼女がこれらのやりとりからベネフィットを得たことは確かだが、その一方で、ハーディ兄弟にとってそれが何を意味したのかを評価することは難しい。純粋に実際的な観点からすると、彼らは、彼女に犯罪歴について語った際の率直さを後悔したかもしれなかった。1996年、ポール・ハーディは、警官を殺したかどでつかまった。そして、FBIは、それを確証するために、彼女のスタジオのがさ入れにはいった。有罪を示すだろう、インタビューやビデオを押収した。
by picasom | 2011-06-27 00:00 | レポート
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